「ゆるすことは見すごすこと」
許しが必要になる状況は、相手、または自分が、間違いを起こしたとき、罪を犯したとき、ひどいことをしたときです。
そういう状況に陥ったとき、ゆるせないと思うのは、その人のミステイクを見つめてしまうからです。だから、ゆるせなくなってしまうのです。
それに対して「ゆるすとは見すごすことである」という言葉は、「相手がしたミステイクの向こう側を見なさい」ということを呼びかけます。すなわち、見すごす、とは、「間違いの向こうにいる、その人の魂を見つめなさい」ということです。
間違いの向こう側には、助けを求めている魂、恐れてふるえている魂がきっといます。それを見てあげようということです。
ゆるすということは、間違いをそのまま認めることではなく、相手や自分の魂を許すこと。
今日、そのことを、静かに自分の魂と会話してみましょう。