文字が見えにくい!!

朝食の前に本を読もうとして・・・・!!!文字が読みにくい???
左目に光のひも状のものがあって瞬きしても目を閉じても消えない
本の上に視線を落とすとくっきり見えるところとにじんで目にくいところにまだらに分かれていて
とても読み進めることができない・・・おまけに気分が悪い(精神的なもの)
朝食もそこそこに(喉なんて通らない)眼科で働いている友人にメールすると
「裂孔や網膜はく離なら困るからすぐ受診」
「・・・・(ガーン!)」
迎えの車や外出の手配をしてお昼に出発
症状は10分くらいで治まったので気持ち的には落ち着いてきた
裏の救急用の出入り口に到着すると、友人が車椅子で迎えに来る。
知人に合わないように二人でヒャーヒャーいいながら院内を眼科に向けて疾走していった!
お昼休みにもかかわらず、馴染みの先生がすぐ診察してくれる。
診察の結果、眼圧は正常(13)だが「正常眼圧緑内障」の診断。
またまたガーン!
網膜はく離など緊急性はないものの、頭部CT・視野検査など必要らしい・・・
「元気に(もっと歩けるように)なってからでいいよ」と先生。
「なんかあったら往診に行ってあげるよ」ありがたいようなそうでないような
お喋りタイムも結構長く、出発後約2時間で帰院。
ナースステーションに報告。リハビリ、来客、シャワーと次々忙しくして夕食時、主治医がカルテを
握って走ってやってきた(汗)
「で、どうだったって?治療は?検査は?ここではリハビリだけだからいつでも検査に行ってくれていいよ!」
「はぁ・・・」
病名の後半「緑内障」という部分が引っかかるようだ。
PTさんにいたっては、直ちに他の病院、できれば大学病院に行ってもっと詳しく調べてきてもらえとリハビリ中ずっと言ってた^^;ちょっと困る?信頼してる先生なのでそこまではちょっとできないよ
ネットでいろいろ調べて、眼科の友人ナースにもメールして、とりあえず治療は必要なく様子観察(ただし定期検査は必要)ということなので、それをいかにしてここの病院の人たちにわかってもらうか・・・いらんストレスが増えたぞ↓↓↓
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術後5週間目(8/29)

全病院でもそうだったけど、年配(70歳以上)の人たちと同室でいることは
いろんな意味で勉強になってきた。
私とは一世代や二世代上の人としてのいろんな意見、戦後の混乱期を乗り越えてきた苦労話やいろんな現実、農家に嫁いだ苦労や喜び・・・異世代の人の話はすんなり心にしみこんでいくような不思議な力がある。
が、
ここでの勉強はちょっと今までと違う・・・斜め向かいのベッドの人は、考え方の根本がネガティブで口をあけたら耳をふさぎたくなるようないやな内容ばかり。
お嫁さんの話も誉めてるのかけなしてるのかわからない、入浴の順番が後回しになった、どこそこの人は頭が弱い、階下の人たちはみんな声が大きくてうるさい、何を言っても「あぁ・・・またか」と思うような内容ばかりだ。
しかし反面教師としては十分すぎる存在だ。
ネガティブになりがちな私の思考。人にこんな風にいやな思いをさせてはいけない!と思わせくれる。
人生すべて勉強だ。
●回診
昨日PTさんに言われたとおり、ベッド上でも筋トレを頑張るように言われる。どんなに頑張っても1ヶ月くらいはかかるだろうから、のんびりやりましょうと。
・・・そういわれると俄然やる気が出て「なにくそ、1ヶ月かかるなら3週間で筋肉つけてやる?」と思うのが私である。ついでに腹筋運動も加えて下腹にも渇をいれてやるぞ!
膝の痛みのことを伝えると、翌日に痛みが残るほどするのはやりすぎだから、痛みがあるときは無理せずにちょっと控えたほうがいい・・・ただし、大腿四頭筋は膝を守るためにも鍛えたほうがいい筋肉であるとのこと。うっす!頑張りますっ!
●初めての・・・
今日初めて自分ひとりでシャワーをすることができた。
準備物は重くならないように必要最小限にし、リーチャーも忘れず持参。1階の広いお風呂では移動に困ったので、4階の内風呂と同じ広さのお風呂に行くことにする。万が一ズボンを自分で履くことができなかったときのことも考えて、看護師さんに予めお願いしておく。
浴室内だけでなく脱衣室にも手すりが付いていることが今の私には必須条件だ。
ここのシャワーチェアーも座面の高い背もたれつきタイプ。座ったときの座面の横幅も広く安心感がある。
脱衣室の椅子がパイプ椅子で、座ったとき一瞬ドキッとしたが、なんとか着衣も自分ひとりで完了!ちょっと自信が持てた!

術後34日目(8/28)

窓から見えるお屋敷
外の道路に向けて3mはありそうな石造りの塀構え
普段は来るまで通りがかりにちらりと見る程度だったけど、4階のこの部屋からは家の裏側の塀際が垣間見える
今朝はちぎれんばかかりに尻尾を大きく振りながら餌を食べているドーベルマン(!)を3匹発見!
こういうお屋敷は番犬もすごいのね・・・
昨夜は夢にまで見たチョコレートを食べたおかげか、消灯時間から朝方までトイレにも目覚めずに眠ってた・・・悪夢はたくさん見たけれど^^;
あい・らぶ・ちょこれーと
体重管理の大敵だけど
●回診
股関節の外転がわるいなぁ、もっと練習しないと・・・と言われる。
って言っても、膝曲げた状態で外転させるのはなんでか股関節が痛いような気がして怖くて今までも無理なことはできなかった(PTさんも無理はしなかった)
術前に比べるとこんなに開くのになぁ・・・
私の目指すのは「完璧」じゃぁないんだよ?
●リハビリ
今度の病院での担当は、めがねの女性PTさん。
なかなか厳しいぞ?筋トレも可動域訓練も!可動域訓練でいたい思いをしたのは初めてだ。
赤いチューブを持たされ「お部屋でも筋トレしてくださいね?」「・・・はい」
結果、膝の痛みでシップのお世話になることに。
いったん傷めてしまった膝は急にはよくならないよね。リハビリの障害になりそ・・・
家に程近い今度の病院
そのせいかお見舞いの人が増えた!うかつに昼間から布団かぶって寝てたり、大股ひろげて体操したりはできなくなる。
しかしこの睡魔・・・あれだけ夜も眠ったのに、ちょっとリハビリしただけとかエアコンで体温下がっただけでこんなに眠くなるのね
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術後30日(8/24)

夕方いつものように主治医がふらりとやってきて、退院後の受診の日を水曜日ごとに指定してあるが、都合が悪ければ月・水・木で調整してくれていい、と。
むむむ・・・
転院後も外来受診の必要が頻回にあるんだ。
一人じゃ受診にこられないし、参ったな・・・
慌てて自宅近くへ帰ることを決断してまずかったかぁ?一瞬不安がよぎる。
ま、深く考えても仕方ない。なるようになるさ?わっはっは?
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術後31日目(8/25)

●回診
若手H先生に「いつも変なことばかり質問してすみません」
と前置きして思い切って聞いてみる。
「車の運転は荷重がどれくらいまでになったら可能ですか?」
医師の返事は意外にも今でも大丈夫だろう、と。座位でアクセルやブレーキを操作するという動作では股関節にさほど荷重はかからないのだそうだ。
ただし、事故に遭遇した場合、たとえ相手が100%悪くても過失を問われる可能性があるかもしれないので、経過を見ながら主治医に確認してみたらと言われる。
なるほど・・・
運転という動作自体は可能でも、足元の狭い愛車プジョーではしばらく無理かもなぁ・・・
もっとしっかり下肢の筋肉がついてから、少しずつ練習してみようと思う。
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術後32日目(8/26) 転医の日

さわやかに晴れている
転医日和だ!
こちらの病院をいったん退院するに当たって書類などをいろいろいただく。
退院日までの入院費用を払い終わった時点で医事課より退院証明書を発行される。これは、主治医からの診療情報提供書、看護スタッフよりの退院サマリーと一緒に転医先の病院へ提出する。
預けてあった診察券、退院日の駐車場無料チケットもいただく。
移動に必要な松葉杖の借用の手続きとして、預かり金5000円を支払い、返却のときに渡す書類もいただく。
生命保険の入院証明書は病棟看護師が預かってくれ、外来のほうへ届けてくれるとのこと。
退院時の計画書によれば次回の受診は水曜ごとに3回指定されていた。
術後6週目、9週目、12週目。
後は荷物をまとめるだけ。衣装は入院していたままのTシャツとジャージなんだもん^^;
他病棟へかわっていった人へ挨拶へに行く。いろんな人とお知り合いになって、たくさん勉強させてもらった。年配の人と関わることは苦手ではない。(入院してた病棟は65歳以上の人ばかりだった・・・)
退屈な入院期間もいろんな話をしながら楽しい時間だったなぁ?
途中昼食をとってる時に携帯の着信に気づく。病院?
松葉杖の貸し出しの手続きは済ませているのか?と・・・気分よく退院させてもらいたかった。ちょっとがっかり↓
転院先の病院は午後の診察時間に合わせて14時以降にきてくれといわれている。時間が少しあったので自宅に寄ってみる。玄関先の2段の段差と、玄関内の段差をなんとかかんとか乗り越え家の中に入ることができた。久しぶりの我が家・・・家に入ることができるか不安だったので感激だ!
手すりはないけれど松葉杖を上手く使ってトイレもすることができた。立ち上がりよりも、座るときのほうが不安定な感じがする。のどが渇いたなぁというと、次男が自分が飲もうとしていたヨーグルトを私に譲ってくれる。なんとなく居心地がいい(^^)
結局15時前までいて、その後病院を受診する。家からは200mくらい。
簡単な診察とX線(胸部、右股関節正面)のあと病棟へ上がる。建物の1階が外来部門で2階が手術室とX線・CTなどの検査部門、3・4階が入院の病床である。ナースステーションは3階のみで、私が案内されたのは4階のトイレに一番近い部屋。後でわかったことだけど、私をトイレに近いこの部屋に入院させるために、もともといた入院患者さんが2名他の病室に移ったらしい・・・かなり恐縮である。
4階は自分で動くことのできる比較的元気な患者さんばかりで若い人も結構いたりする。反対に3階は病状が重い・・・と言うよりは排泄介助など見の周りのことに手のかかる人が入院しているようだ。
6人部屋を4人用に改造した病室は、人工関節センターのように綺麗ではないけれど割合広くて、なにより窓から見慣れた景色が広がっているのがいい。
あぁ?帰ってきたんだなぁ、と実感できる。
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術後29日目(8/23)

毎日の空気がふわ?・・・と流れていく感じ
昨日と今日じゃなぁんにも変わりないけど、1週間前、2週間前とは大きく変化している
時間の流れはすばらしい☆
●夕刻の退屈時間に
いつものように手術を終えた主治医がふらりとやってきた。
「おう!」
ベッドに腰掛けていた私の隣に並んで腰掛けてきて話す。関節の動き具合や座る時の姿勢のとり方、いろんな姿勢の可否などなど。しばらくして立ち去ろうとするのでCTの結果を尋ねると「忘れてた?」と慌てて写真を取りに行く。
術前術後の単純写真とCTの画像・・・術後の写真は初めてだ!
単純写真で見る移植部分はもやもやっとしてて、ほんとにこんなので支えられるのかなぁ・・・と不安になるような頼りなさだ。移植部分はピンで留めているのではなく、主治医の言葉を借りると「メリケン粉状の」ものをつけているだけだと言う。粉を捏ねただけの屋根の下に留められた人工の臼蓋。荷重を制限されるのも無理は無い。
CTを撮影した目的は接合面を見るため。人工骨頭の足の部分が大腿骨の内部の壁面に接しているかどうかの確認をしたらしい。不安定な骨髄腔のなかで危うい感じではまり込んでいる人工骨・・・これが私自身にがっしり噛み付いて体の一部になってしまわないと、50kg余りの私の体重を片足で支えていくのは当然無理だ。
今まで理屈では理解していたつもりだったが、こうして現実(写真)を目の当たりにしながら訥々と説明されると、術足の荷重制限の厳しさがより一層必要不可欠なものとして心に刻まれる。
近医に変わるのを前になんだか釘を刺されたようで心がちくちくしたが(←実際よからぬことを考えていた)主治医の言う「これからの第2の人生」をうまく生きていくためには、今までのように「必死で」がむしゃらになることは黄色信号なんだなぁ・・・。
なんにでも一生懸命、人のためにも一生懸命。そんな全力疾走な生き方は自分が息苦しくなるだけじゃなく周りの酸素も薄くしてしまいそう。7?8年後に再手術が必要だとしても、それまでの人生は大切に生きていくことが私の課題だと思う。
・・・これって結構むずかしいかも^^;
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術後4週間め(8/22)

入院して最初の予定では計画書に「1ヶ月」と書いてあった・・・
が、使用した人工関節の種類のために荷重がなかなかかけられずに焦りがどんどん膨らんでいく
よしっ!
今日は火曜日。主治医が総回診する日。今日こそハッキリ(いや、やんわり^^;)聞いてみよう!
●総回診
「慣れた?」と主治医。「3分の1に?なら慣れました。ひじと腰が痛いけど」
(意を決する)
今後の見通しはどうなんでしょう?(実際はタメ口だけど)
術後3週目から荷重3分の1
術後6週目で 荷重2分の1
術後9週目で 荷重3分の2
術後12週で  やっと全荷重
全荷重を待たなくても他院へ転院することは可能だし、守るべきことさえきちんとできれば入院している必要もない。ただ今は「待って」いるだけだから・・・と。
ざっと計算してクリニックで仕事を始めるのに間に合わないんじゃぁ・・・と心配になったけど、ここはとりあえず自宅近くへ帰ることのほうがまずは大切だ。家族と相談していいか主治医に確認し、自分の中では転院の方向で考えることにする。
●リハビリ
「いつでも帰っていいと言われたようですね」と、PTさんのほうから切り出される。日常的に人工関節の手術をしてる病院ではないのでリハビリの方法なども不安が残ることを伝える。
術前の状態からずっと見てくれているPTさんから離れることはほんとに不安・・・
●相談の結果
土曜日に近医に転院することに決める。師長さんに伝える。
師長さんは病室のメンバーが高齢者が多いことを気にしてくれていた様子。同年代の人も同じ部屋に入ってもらったんだけど・・・と昨日きた同室のTさんのことを言ってくれる。
私的には同室者が年配の人ばかりでもさほど気にならない。人工関節の適用が主に高齢者であることを思えば当然の事。逆にRAO(寛骨臼回転骨切り術)を受けたTさんが人工関節センターにいること自体が不自然なこと。いろいろ気を遣ってくださってた師長さんになんだか申し訳ないような気持ちになりながらも、決意は固い。
程なく手術を終えた主治医が「おうっ」とニコニコしながら廊下でこちらを見ているので直接転院の話をすると、私の希望の病院に電話で確認してくれ、土曜日夕方4時までに入ればOKと教えてくれる。
現時点で体重をかけても大きな問題は無いと思われるが、やはり念のため今から1?2ヶ月は様子を見ながら進めていくのがいいだろうと。
術後の定期健診は必要だろうが、自宅に近いところへ早く帰りたい気持ちが強いため、やや後ろ髪は惹かれるが強行することとする!
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術後27日目(8/21)

明日で手術して4週間・・・もうそんなになるんだ?
今日は新しい手術の人の入院に備えて大掛かりに部屋がえが行われる。私の部屋にも術後しばらく経った人が二人入ってきた。
一人は膝関節の人。もう一人はほぼ同年代でRAO(寛骨臼回転骨切り術)の術後の人。
RAOの人とその付き添いさん(お母さん?)に
「悪くなってから手術しても遅いものね」
と声をそろえて言われ、ちょっと気分が沈むのを感じた。・・・いやちょっとだけじゃなくてかなり沈んだかも。今のこうなった自分を嫌っても嫌がってもコレが現実なのだから仕方ない。悪意を持っていった言葉じゃないのだから、と言い聞かせる。
私がそういう保存的な手術をしたとすれば中学か高校生くらいかな??私の人生はほぼすべて股関節が悪い時期で占められている。今の人生だってそう悪くは無いはず。だよね?
●回診
クールなO先生。週末あちこち歩きすぎて左ひじを伸展させると痛い・・・。体重がかなりかかってる感じがする。鎮痛剤は1日3回までは可能だけれど、できるだけ調節して飲むようにとのこと。今手持ちのシップ(セルタッチ)とは違う、ぴったりくっつくタイプのシップを処方してくれることになった。
すぐ後に廊下を歩いている姿を見て、「かなり腕に力が入ってるなぁ・・・」と。
体重が重いせいもあるのかな^^;
●CT
股関節のCTを撮影する。先週から言われていた予定の検査。
単純撮影なのでものの5分もあれば終わるのだけれど、狭い台の上で右足が内転しそうで途中で膝まで降ろしていたジャージを脱がせてもらう。
結果は・・・明日の主治医の回診かなぁ。
金属(人工股関節)のせいで見にくい写真だろうなぁ・・・
●リハビリ
ひじの件を相談しながら、自分で気づいたことがあった!
松葉杖を床についた時点ですでに両足が床から浮き気味になっている。左足で体重を支えるべきときに床から浮いているものだから代わりに腕、主にひじに負担がかかっている。
なるほど・・・要するに私が歩くときに慌てて前に前に進もうとするからひじが痛くなるのだ。
ひじを守るためには慌てて歩かないこと。常に意識して気をつけよう☆
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術後26日目(8/20)

ベッド端に座る姿勢も安定してきて、かなり長い時間座っていられるようになってきた。
松葉杖で歩くことも、最初の頃ほどは疲労感を感じなくなっている。が、かわりに肩や膝に加えて、背中から腰の筋肉の痛みや腰痛、ひじの痛みが出てきた。
右股関節周りだけでなく、体中の筋肉が悲鳴を上げている。
金曜にシャワー介助をしてもらい、ハーフパンツに着替えた。病人から一歩前進した気分。あくまで気分だけだけど^^;
誰か付き添いがあればいつでもシャワーはOKということなので、今日も家人に付き添ってもらってシャワーする。ベッドに比べると低いシャワーチェアーだけど座る姿勢もグラグラしなくなってきて、不安もあまり感じない。あとはズボンの着脱・・・注文していたリーチャーが発送したとのことなので、到着しだい練習してみようと思う。
週末リハビリが無いので、ベッドサイドやベッド上で右足の裏の筋肉を伸ばすようなストレッチや、腿の筋肉トレーニングに励む。でも運動すればするほど膝が悲鳴を上げる。これも今まで股関節の痛みや可動域制限で負担をかけてきたせい。膝関節をこれ以上痛めないためにも下肢の筋肉トレーニングは意識的に続けていかないと!
二日前からバレーボールの試合を見ている。
しなやかで鍛えられた体。あそこまで激しい動きじゃなくても、私の体も日常生活にあまり支障を感じない程度には動いてくれるかな・・・
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