股関節固定していたことの副産物と、胆管の検査

胆嚢摘出し、ひと月半くらいで、術前と同様の症状が出てきました。

程度は軽いです。胃の重苦しくもたれる感じ、季肋部痛、背部痛。

しばらく我慢しつつ様子を見ていましたが、先週内科受診し、血液検査で肝機能が少し上がっていました。

先生は当初、胃の症状では?と楽観的でしたが、胆管に結石が残っている(新たに出来る?)可能性はもちろん否定できないことなので、改めてMRCP、腹部エコー、CTの検査を行うことに。

そして、今日はMRCP。

いつものように、セルシン持参なので、付き添い(運転手)必須。狭いところも、身動きが取れない状況もこんなに苦手になったのは、やはり、股関節にまつわるいろいろな苦難の結果かと思われます。ウエストから足先までのギプス固定。股関節が動かなくなったことで生じた生活の様々な困難さ。固定した股関節のまま、反対側の股関節手術を受けた時の身動き取れない苦痛。

どれも思い出したくもない(笑)

いやな副産物。

一生のおつきあいになりそうです。

 

足首のせいで歩けなくなった日

もともと足首の関節は柔らかくて、グネッとなりやすいのですが、グネッとなってないにも関わらず突然体重かけられず歩けなくなることがあります。

 

関節外れてるの、っていうくらいなんかすごい違和感と、荷重した時と歩行時の痛み。以前も経験あるから家には既に市販の足首サポーターがあります。

 

年末に歩かない日が丸一日、何かの拍子にまた歩けるようになる。で、年始はサポーター装着で初詣に行ってきました。宮島へ。

 

宮島口に車を停めてフェリーで渡るので、後はずっと徒歩。

砂利や石段がほぼ無いのが救いで、なんとか歩き切りました。弥山への登山はもちろんやめました。

その後はアウトレット、翌日は美観地区。階段の昇降に違和感はありましたが、休み休み、サポーター頼みで。

 

今日、主治医に言われたことは、正座はダメ。砂利道や石段は足首はもちろん股関節にも負担が大きい。

右股関節は人工に置換して13年半。負荷のかかりやすい外側でステムと接触している骨が少し白くなってるみたいです。この白い部分が外側内側全体に広がってくる(隙間ができる)と入れ替えしなくちゃいけないみたいですが、現状では症状も出ない程度と。

遠いけれど、現実として見えてきた人工関節の入れ替えです、

 

要するにそのことも踏まえて、足首ともども、頸椎腰椎、膝、肩、手首、みんな守っていかねばという主治医のいつもの「錘」。心に留め置きます。

 

洗濯物は、リビングのカーペットの上で畳むのが習慣でしたが、見直しが必要です。

 

生活のあまりに細かいところまで、面倒だなぁと思うことはしばしばあります。が、いざ膝や足関節か原因で歩けなくなると本当に困るのも事実。

自分の足で移動する。

その機能を守っていくためには細心の注意が必要なようです。普通とは程遠い歩行に関しての私の体の危うさ。突然シャットダウン、がいつくるかわからないって・・

膝のロックと足関節のこと

股関節に障害があると、ほかの関節にも影響が出ます。

一番大きくかかわってくるのは腰椎かな。hip spine syndrome は股関節を固定した人には無縁ではないかと思われます。(特に固定角度が大きかったり脚長差が大きいと特に)

固定した関節の上下の関節は、固定した関節を代償しようと無理な動きを続けてしまい、腰椎の疾患や、膝関節の変形など、単なる経年変化ではなく、股関節疾患患者には少なからず起こってくるものと思われます。

腰、膝に限らず、私の場合は、肩関節、足関節にもかなり負担がかかっていました。固定時、少しでも歩く姿をきれいに見せようと、足首酷使で歩いていました。起き上がるときは、右下にした姿勢で右腕で体重を支えて起き上がっていました。

椅子に座った姿勢は、浅く腰掛け固定した左足は椅子の下に。それでも骨盤の傾斜は半端ないので前を向いた姿勢のバランスをとるために頸椎の前彎がより大きくなっていて、頸椎の骨棘は今でもたくさんあってしばしば悪さをします。

固定を解除してからは膝のロックは減りましたが、先日は朝起きるとロックしていました(汗)夕方には何事もなかったかのようにすっかり良くなっていましたが、日中どうしても抜けられない用があり、シップとサポーターとトラムセット(鎮痛剤)と杖で乗り切りました。

膝は半月板の損傷が原因ですが、足関節が同じようにロックしたようになり痛みで歩けなくなるのは、なんででしょう?これもいつものことですが、1日未満で改善します。痛みが出ているときは杖がないと歩けません。

もともと、私の関節は柔らかいらしく、人差し指は反対方向にぐにゃっと反り返って手首近くまでいきますし、足首もPTさんに「柔らかいから捻挫しやすい、気を付けて」と。それと足関節の痛みが何の関係があるのかもわかりませんが、とにかく負担をかけないような歩き方を心がけることや、足首をぎゅっと固定できるサポーターの準備が欠かせません。

体中の関節という関節が、いまや守るべき存在(笑)

生活全般、気を付けることだらけです。

 

 

固定股関節の時の固定角度について

固定股関節からの人工股関節置換術後、3年と10か月。年が明けたら、手術を受けた病院での定期検診です。

13年前、右股関節の人工関節置換術後3か月くらいの時に、年金の申請のために書いていただいた診断書が出てきました。

左股関節は、まだ固定した状態だったので強直肢位、右は術後で可動域が出てきていたので(術前は、股関節の変形と痛みであまり可動域はありませんでした)自動可動域、他動可動域への記入になっていますね。

固定股関節は、屈曲40度、伸展-15度、外転20度。

後に、固定経験者の方と何人かお会いしましたが、これほど角度のついた人はお一人くらいしかいらっしゃらなかったかと。

固定した時期や、担当した医師の考えによって、固定角度は皆さん様々なようで。

脚長差はこの時点で2cmとなっていますが、短くなっていた左足に、右足を合わせたということかと。その後、左を人工に置換する時点で今度は右に合わせてきたかと思われるので、私の身長は背骨がまっすぐ(ストレートバック)になっているにもかかわらず、2.5cmも低くなています。

足だけで考えると、実際はもっと短くなっているのかと(勝手に思っています)

右股関節は術後間もなくのこのころに比べると、可動域・筋力ともやや改善しています。

右股関節を人工関節に置換したことで、片足だけでも可動域が出て、痛みが無くなったことで、当時はバラ色でした(笑)

もちろん、固定股関節を人工股関節に置換した今では、今のほうが断然生活も楽になったし、ベストな状態だと思っています。

左股関節固定を人工股関節に置換しておいてほんとによかった・・・と実感する出来事~その2

胆管炎(?)で入院して抗生物質を投与し、肝臓の機能も回復傾向ということで、内科を退院し、その二日後に、別の病院の外科を受診しました。

当日は血液検査と腹部エコー検査。翌日にDIP-CT。今現在胆管内に結石が存在する所見は無いとのことで、手術前に内科で内視鏡的に云々の下りは割愛されることになり、胸をなでおろしました。全身麻酔の手術より、身動き取れないERCPに1時間余りかかることのほうが千倍恐怖なのです、私には。

痛みも炎症も治まってきているし、待機的手術、それも、初診日から2週間と少しで手術の予定が組めたことは、早くてラッキーでした。

家での低脂肪食(無脂肪には無理)は、食材選びに悩み、家族には普通の食事を作るので、ほんとに手間でした。が、うっかり高脂肪のものを食べることは全くありませんでした。疝痛発作だけでなく、胆のうや胆管、さらには膵臓まで炎症が及ぶと・・・と想像しただけで身の毛がよだちます。

アセトアミノフェンは10回分処方していただいていましたが、疝痛発作に効くとは思えず、何かあったらいつでも来てくださいという担当医の言葉は、結石がいつ転がり落ちるかわからないからねという脅しに聞こえてしまって(単なる被害妄想w)おかゆに、水煮のツナ、少しの豆腐、白身の魚、サラダチキン、野菜、合間に麩菓子という何とも力の出ない食事を守り通せたのは、甘いもの大好きな私にしては上出来だったと思います。

何事もなく無事入院日を迎え、山のような書類の中に、麻酔科医や担当医の説明でわからないことや不安なことがあればというアンケートのようなものがあったので、正直に「前回の整形外科の手術で前投薬がなく、まったくの素面状態で手術台に縛り付けられるのが恐怖だったから不安」と書きました。

手術室ナースの術前訪問でも同じようなことを伝えたのですが、その後、再度麻酔科の部長が説明に来てくれ、手術室ナースも手足を拘束するのは麻酔がかかってからにします等、最大限の配慮を約束していただき、その流れで、翌日徒歩で手術室に入室すると、あちこちからやさしく声掛けされ、え、私VIP?くらいに勘違いしそうな歓待をうけました(笑)

おかげさまで、大した不安もなく、血管確保してそろそろ経静脈的に薬が投与されるな、という直前には、徒競走のスタートラインぐらい鼓動がどきどきしたくらいで、次に気づくともう手術は終わっていました。

不安なことも、言葉にして伝えてみるもんですね。これまでなんで何もかも口にせず我慢してきたんだろう。

HCUで、2時間か3時間くらい過ごしたのですが、まったく痛みはなく、膝も曲げていいし、なんだこれ、楽なんですけど?ナースに聞かれて、整形外科の手術に比べたら天国ですと半覚醒の私は変なテンションだったようです。

こんな手術だったら、ストレス少ないし、何度でも(笑)受けられそう・・・

(続く)

左股関節固定を人工股関節に置換しておいてほんとによかった・・・と実感する出来事~その1

6月下旬からH2ブロッカーを服用しつつ、心窩部&背部の疝痛に悩まされてきた私ですが、ついに、痛みが6時間も続くことがあり、家族に促されて救急外来を受診することになりました。

十日ほど前のことです。

 

昼過ぎから、毛布を頭からかぶって、痛みのために涙を流しつつずっと辛抱していましたが、その日の当直の先生が信頼できる内科医だったので(笑)意を決していくことに。

なんでもいいからとりあえず痛みをとってほしい。ただそれだけ。

車に揺られ、救急外来の待合室で待つ間に少しずつ痛みが軽快してきて、申し訳ないから帰ろうかなとか迷いましたが、夜中にまた痛くなっても家族に迷惑かけるだけ。小一時間待ってからの診察でした。

症状を問診し、お腹を少し触診しただけで

「症状からして、胆のう」と。

いやいや、そんなわけは。6月に腹部エコーしてるし。胆のう腺筋腫症だけで経過観察と言われたし。

しかし、撮影した単純CTには、ちいさな石がたくさん写っていました。胆のう内に。

まさか!の結果。しかも血液検査で肝臓の機能が悪く(300から600)、でも翌日にちびちゃんの遠足を控えている私は、翌日再度内科受診して検査を受けることにしてその日は帰らせてもらいました。

総胆管結石の疑い。胆のう炎や膵炎も懸念されるので、本当はすぐ入院すべきだったのでしょう。

翌日の内科受診で、肝機能はわずかに下がってきているもののまだ高く、腹部エコー、MRCPで胆道の石ははっきりしないものの、抗生物質の投与が必要ということで、入院となりました。

痛みはほぼなかったのですが。

持続点滴しつつ、安静と食事療法。膵臓食の五分がゆ。しかもハーフ。

毎日点滴が漏れては入れ替え、入れ替えの合間にシャワーさせてもらったり、友人がおしゃべりに来てくれたり、どこも痛くなく、どこも不自由なところなく、こんなに楽させてもらっていいのか、という3泊4日。

肝機能が100前後くらいまで落ち着いてきたので、肝胆膵の専門の外科医がいるほかの病院へ紹介状を書いていただいて(本人の希望により)、いったん帰宅しました。

今回の痛みのもとになった石は、腸内に落ちたのかもしれませんが、程よい大きさに成長している胆のう内の石が、いつまた落ちてくるかわからないので、胆のう摘出は必要とのこと。さらに術後、総胆管内に結石が残っている場合は、内科でERCPと。手術よりそっちのほうが緊張する。

私好みのクールで話の早い女医さんと離れるのは心残りですが、まずは胆のう切ってからまた帰ってこよう!と。

長くなりそうなので、続く

 

サイクリング ヤッホー 自転車買いました

青春サイクリング、という歌を知っているわけではないのですが、この「サイクリング ヤッホー」というフレーズだけはなぜか知っています。

そんな知りもしない歌のフレーズが頭の中を何度もよぎるような出来事。

折り畳み自転車を購入し、30年ぶりくらいに自転車に乗りました!

日常的に自転車を使用していたのは高校生の時が最後なので、正確には36年ぶりくらいでしょうか。

20代の最初のころは原付バイクを使っていたことも数年ありましたが、なんにしても輪っかが二つしかない乗り物は久しぶり。それでも乗れますね~不思議です。体はきっちり覚えていました。

プールで歩けばいいのですが、準備して出かけてから帰ってくるまで結構な時間を要するので、ついおっくうになってしまいます。

でも自転車なら、準備なしですいーっと。これまでなんにでも車を使っていた私ですが、はがき投函に行こう!では自転車で。みたいに、気軽に運動できます。

え?自転車が運動?

いえいえ、侮ってはいけません。初回、1km先の郵便局までのはがき投函に往復15分自転車こぎこぎ。

帰路の途中で心臓が痛くなり、苦しくて苦しくて、帰宅後しばらく横になっていました(笑)恐るべき衰え方、私の心肺機能。

なので、以後は信号待ちなど有効活用しながら、ゆっくり進む、ギアは軽め(ギアチェンジできます)、時間の余裕のある時に出かける、など、心臓に負担のないように(笑)運動しています。

ふとももやおしりが筋肉痛にならないかなー、とか、股関節に負担にならなかなーなんて予測していたことは、まったくの無意味でした。そこまで筋肉を使えていない。筋肉使う以前に心肺機能がやばいとは。

 

風をきって走る自転車(スピードは恐ろしく遅いけど)

なんて気持ちがいいのでしょう。そして冒頭の「サイクリング ヤッホー」です。あーうれしい。普通のことができるしあわせ。

内科受診、再開せざるを得なくなり 

左股関節固定を、人工股関節に置換し、3年と7か月が経過しました。

小さな困りごとはあっても、日々の雑事に追われているうちに紛れる程度。いや、雑事に追われることで忘れるように努力しているのかな。

8月に突然の胃の疝痛で近所の内科を受診してからひと月半。また起こりました。しかも運転中。

月に2回のちびっこの大切な訓練の日に起こってしまい、道中で悩みつつもやむなく断念。キャンセルの電話を入れてその足で内視鏡を受けた内科に向かいました。

食生活も普段通り、これといったきっかけもなく突然に起こる痛み。

息を止めていないと耐えられない。信号待ちでカバンをひっくり返し、ブスコパンを見つけて内服。お願い!効いてー!

内科に着く頃には生汗も引いてきて、普通に呼吸できるくらいまでは治まっていました。突然の受診で予約なしなので、院長の息子先生。

内視鏡の画像や所見を見つつ、血液検査もくまなくみて、念のためピロリの検査をしておきますかと。内視鏡では自然治癒した瘢痕のみということでしたが、血液検査で抗体を、あと便でも検査することになりました。

あと、整形外科で処方してもらっていたガスター(10mg)を、元通りのガスター(20mg)に変更してひと月分処方してくれました。痛み時には、近所の内科でもらっているブスコパンが効くと思いますからそれで、と。

平滑筋がぎゅーっと収縮しているらしいです。この痛み。俗にいう胃痙攣ってやつですかね。

この痛みが抑えられるなら、毎月内科受診という予定が一つ増えても全く問題ない!ってくらい、耐えられない疝痛。

お出かけの際はもれなくブスコパン持参、というミッションが一つ増えました。

鉄の胃だった頃が、今は昔。経年変化がいろいろ体に起こってきています。

胃とPPIと膠原線維性大腸炎とH2ブロッカーと

左股関節固定術からの人工股関節置換術後、3年半経過しました。

すでに術後、という概念は生活の中にはありません。ただただ「普通に」歩けることのありがたさ。歩く格好を気にしなくていい。人から見られてる感が全くない。こんな普通がとっても幸せに感じられます。

 

さて、術後の鎮痛剤攻めと年齢的なことも相まって、鉄の胃自慢を返上せざるを得なくなって3年。

このほど生まれて初めての胃カメラを受けることにしました。

調べに調べて内視鏡を受ける病院を探し、消化器科の専門で鎮静下の内視鏡をしてくれる先生を探しました。車で20分弱のところにある個人病院ですが、鎮静するので自分で車の運転をしては行くことができません。

次男の空いてる日など確認しつつ、まずは診察。内視鏡の予約はなんと普通にとると2か月以上先になると・・・

ところが、以前私が勤めていたクリニックの医師と同級生というよしみ(?)で翌週に入れてもらえました。周りにスタッフの方も『コネクション使ってやなかんじ』みたいな雰囲気は全くなく、にこにこと対応してくださり、居心地悪くなることも一切なかったのは助かりました。(意図的に医師とのつながりを利用したわけではなくたまたま質問された内容が仕事のことでした)

ぴりぴりした環境では緊張感が増しますが、まずは一つクリア。

緊張感が増すごとに、私のパニック発作(のようなもの)は容易に出てきます。

内視鏡の前日に、腹部エコーの予約も取り、久しぶりに検査していただけました。

肝胆膵に異常なし。脂肪肝もなし(笑)胆のうに小さいポリープのようなものがたくさんあるようですが経過を見ていれば問題なく治療の必要もないと。

ついでに大動脈はどうですかと尋ねると、今現在動脈硬化の所見はないとのこと。ほっとしたのも束の間で、ただ、大動脈解離を起こす人の一定割合は動脈硬化の所見なく起こっていると。

なるほど。母もそのタイプだったのかな。要するに防ぎようがないことみたいです。

内視鏡当日、家族の中で一番緊張感を和らげてくれる次男付き添いで行ったものの、次男は時間つぶしに出かけてしまい・・

前麻酔の手順はもちろん知っていますが、鼻からキシロカインスプレーを噴霧2回目、飲み込んでねと言われてから、のどのしびれが息苦しさに感じられ「これヤバイ!」

はやく鎮静してー

という願いもむなしく、スタッフの皆様私の腕の血管と格闘してなかなか点滴が入るところまでいきません。血圧は緊張のためか収縮期160まで上昇。ま、下がるよりはよいですが。

セルシン1mgではまだ意識清明で、0.3mg追加してくれました。

検査中どうも応答をしっかりしていたようですが、全く記憶がありません。前向性健忘のようです。以前1回だけなったことがあります。

点滴が終わるまで別室で寝かせてもらい、医師より結果を聞き、お迎えで帰宅。

胃の状態はそう悪いわけではなく、一部以前にピロリが感染して自然治癒したような所見があるとのことでした。食道も逆流性食道炎と診断するまでの所見ではないと。

PPIで膠原線維性大腸炎になってるので、H2ブロッカーを処方してくださいました。毎日服用していると、うそのように胃の症状が無くなりました。

そのかわり、薬が無くなるとまた元通り(笑)

やむを得ず手持ちのPPIを頓服のように服用し(たまに服用するくらいならPPIの種類によったら腸の症状は出ずに済みます)、胃の具合がさらに悪くなってくると毎日服用し、腸の痛みと軟便複数回が始まり、ついに胃のほうも限界が来たのか突然激しく痛み・・・

心窩部痛と背部痛ということで、近医で心筋梗塞の検査(心電図や心筋の酵素の簡易試験など)までしてくれ、結果点滴して痛みが治まるまで2時間余り病院で過ごしました。

時系列がまったくわかりにくいですが

・内視鏡 6月下旬 以後30日H2ブロッカー服用

・お盆前から再び胃の症状 PPI頓服

・お盆明けしばらくして激しい胃の痛み背部痛

・内科の処方薬が無くなり、整形外科専門医にH2ブロッカーの処方をお願いして服用中(←いまここ)

わがままを何でも聞いてくれる主治医に感謝。ただ、消化器科の医師ではないという理由で、H2ブロッカーは10mgのものしか処方してもらえませんでした。これくらいは受け入れます。

もう一度消化器科の診察に行くべき。胃の痛み、侮れません。

 

以上だらだらと記録のための記述でした。

術後3年の診察 5mmの脚長差くらいは・・全く気にならない

固定股関節から、人工股関節に置換し3年が経過しました。もう3年?早かったような?

術後は痛みとの戦いで、きつくて大変だったリハビリ生活も今は昔。あの痛みを経験したおかげで、人生初のインフルエンザに罹患&高熱悪寒でがたがた震えて大変だったけど、術後の苦しさに比べたら何てことないやと思えたことが、あの痛さを経験した後初めて感じたメリットでした(笑)

大学病院でも3年も経過すれば、検査は一般撮影のみ。両股関節立位正面、臥位正面、左右の股関節のそれぞれの側面。

金属類は避けた服装でしたが、ひらひらのスカートは撮影するのにちょっと邪魔になってて、技師さんに申し訳なかったかも^^;

固定経験者と熊本に旅行した話をすると、「もしや一番若かったのでは」と。

今なら、固定術を第一選択にすることはまずないし、まずは自骨手術、それが出来ないくらい症状が進んでいれば20代でもおそらく人工関節を入れると思う、と。

医療は日進月歩、もちろんステムも同様。12年前に人工股関節手術を受けたときは、年齢的なこと(40歳くらいで生活強度も考慮し)から8年くらいしか持たないだろうと言われました。

いまだその人工股関節は、緩むこともなくしっかり機能してくれていますが、結局人工関節がどれくらいもつかなんて、後にならないとわからないことであって、3年前にいれた左の人工関節も何年持つかは使いかたしだいということだと思います。

もしくは、手術を担当して下さった医師の技量orナビゲーションシステムの精度も。

あまり先のことばかり心配しても、今の人生を楽しめなくなりますから、無理はしないけれど歩数計で細かく管理したり、生活を極度に制限したりすることはしません。おそらくこれからも。

左足に体重がかかるとき、わずかに下がる気がするというと、やはり、と。

え?

実測でなくあくまで画像上ではありますが、約5mmほど短いらしいです。左が。

元が固定股関節だったので、正確に左右の長さをあわせることは難しかったらしいです。5mmくらいは、健常の方でもあり得る差ですし、私的には長さの違いというよりは筋力の問題と感じているので、筋トレはサボらずにしたほうが良いですよねと確認すると、(おそらくむちゃくちゃにがんばる必要はないけれどというニュアンスで)アンチエイジングのためにもしたほうがいいのではないですかと。

単純X線写真でもわかる、ボディライン(笑)みたのね、先生。だからそういうのね。そうですよね、自分でも自覚ありますから。

 

来年の診察のときまでに、これ以上体重を増やさない、体重が減っていなくても体脂肪率を下げて筋肉量を増やす、ということを目標にしよう!

不規則な食事を改めて、朝食がほしくないときでも前にカーブスで購入したブルーベリー味のプロテインでも飲もうかな。