管理人プロフィール

(2019.9.更新)

 

1965年2月生まれ
歩き始めのころ:LCC(先天性股関節脱臼)⇒治療にて(硬性コルセットで固定)軽快。両親は治癒したとの認識。

小中学生のころ:バレーボール、ソフトトボール、バスケットボールなどいろいろやってましたが長距離を歩くと股関節に違和感を感じていました(痛みとまではいかなかった)。春の遠足は毎年学校の裏にある標高300m弱の山への登山でした・・・今では不可能

高校から専門学校
高校は文科系(ブラスバンド部)、毎年冬に行われるペース走(マラソンみたいに人とは競わないけど自分のペースで長距離走る)はつらくて2年3年は診断書を提出してやめる。このとき整形外科を受診して股関節のX線を撮影しているが、本人も家人も切迫感まったくなし。病識もなし。
専門学校1年生の時、坐骨神経痛を発症して8週間入院。神経根ブロックをうける。今から考えればこの腰が悪くなった原因ももともとは股関節だったのだろうと後に2次性変形性股関節症を診断した医師にいわれる。遠足という名の苦行(誰も徒歩では上らない険しい山登り)など、活動はみんなと一緒に問題なくできていた。

就職
ナースとして地方の300床あまりの総合病院に就職。廊下は常に小走り、エレベーターを待つ時間が惜しくて階段を2段飛ばし。今からでは考えられないけれどパワフルに働いていた・・・のが災いし、2年目の冬入院して腰椎ヘルニア手術。このころにはすでに側臥位での下肢の挙上運動(横になって腿を持ち上げる)はあまりできなかった。
26歳。股関節の痛みがひどく(両方)仕事を辞めるつもりでいたが急遽手術されることに。左股関節固定術。外来を1時間半もとめて力説するばりばりパターナリズムな当時の主治医。泣きながらいつの間にか入院させられていた。(木曜日に外来にてつかまり手術決定、翌月曜日に入院、その週のうちに手術)

左を固定することで右の痛みも一時的に消失。その後何年かは階段も上れるし小走りで走ることも可能だった。
「できません」なんて言葉は絶対いえない性格。健常者のなかで誰にも負けないようにといつも必死で働くこと計17年あまり。37歳の夏にいよいよ仕事がつらくて耐えられなくなり、いったん主婦業へ。このとき初めてネットで杖を購入(今でも愛用の赤い木製のT杖)。家の近所の整形外科を受診し、初めておおっぴらに消炎鎮痛剤を服用し始めた。(それまではよほどのことがない限りほとんど飲まずに耐えていた)服薬と杖使用で、体はもとより精神的に楽になった。

ハローワークでお手当てをいただく申請の合間に、障がい者のパソコン講座を知り受講。その縁で、退職後半年あまりたった頃からその後の約2年、福祉施設ではじめての事務職(補助)。整形外科で作成した補高靴を使用。右股関節の痛みのために、杖は手放せず、内転位で亜脱臼、ほとんど固定されてるように可動域がなくなり、QOLの低下は酷いものでした。いよいよ限界を感じ、2006年の5月でその福祉施設も退職。

退職後時間がたくさんできたことで、いろんな場所へ出かけていろんな出会いも。
運動のために通ったプールで出会った両側人工股関節の50代後半の女性。ボランティアで参加したパソコン講座で出会った片方人工股関節の51歳の女性。かねてより手術を勧めてくれる近医。最近開設された人工関節センター。なによりこのまま痛みと一緒に生活していくことではなく、自分のやりたいこと、やれることをしていきたいという自分自身の意志。いろんな要素が絡まって「人工股関節置換術」を受けることを決心した私がいました。

2006年7月、右人工股関節置換術を受ける。

術後3ヶ月(!)から脳外科のクリニックで働くことになり、そのために復職に向けて毎日プールに通って必死でリハビリ頑張りました。クリニック開院ギリギリまでロフストランドクラッチ

 

 

1965年2月生まれ

歩き始めのころ:LCC(先天性股関節脱臼)⇒治療にて(硬性コルセットで固定)軽快。両親は治癒したとの認識。

 

小中学生のころ:バレーボール、ソフトトボール、バスケットボールなどいろいろやってましたが長距離を歩くと股関節に違和感を感じていました(痛みとまではいかなかった)。春の遠足は毎年学校の裏にある標高300m弱の山への登山でした・・・今では不可能

 

高校から専門学校

高校は文科系(ブラスバンド部)、毎年冬に行われるペース走(マラソンみたいに人とは競わないけど自分のペースで長距離走る)はつらくて2年3年は診断書を提出してやめる。このとき整形外科を受診して股関節のX線を撮影しているが、本人も家人も切迫感まったくなし。病識もなし。

専門学校1年生の時、坐骨神経痛を発症して8週間入院。神経根ブロックをうける。今から考えればこの腰が悪くなった原因ももともとは股関節だったのだろうと後に2次性変形性股関節症を診断した医師にいわれる。遠足という名の苦行(誰も徒歩では上らない険しい山登り)など、活動はみんなと一緒に問題なくできていた。

 

就職

ナースとして地方の300床あまりの総合病院に就職。廊下は常に小走り、エレベーターを待つ時間が惜しくて階段を2段飛ばし。今からでは考えられないけれどパワフルに働いていた・・・のが災いし、2年目の冬入院して腰椎ヘルニア手術。このころにはすでに側臥位での下肢の挙上運動(横になって腿を持ち上げる)はあまりできなかった。

26歳。股関節の痛みがひどく(両方)仕事を辞めるつもりでいたが急遽手術されることに。左股関節固定術。外来を1時間半もとめて力説するばりばりパターナリズムな当時の主治医。泣きながらいつの間にか入院させられていた。(木曜日に外来にてつかまり手術決定、翌月曜日に入院、その週のうちに手術)

 

左を固定することで右の痛みも一時的に消失。その後何年かは階段も上れるし小走りで走ることも可能だった。

「できません」なんて言葉は絶対いえない性格。健常者のなかで誰にも負けないようにといつも必死で働くこと計17年あまり。37歳の夏にいよいよ仕事がつらくて耐えられなくなり、いったん主婦業へ。このとき初めてネットで杖を購入(今でも愛用の赤い木製のT杖)。家の近所の整形外科を受診し、初めておおっぴらに消炎鎮痛剤を服用し始めた。(それまではよほどのことがない限りほとんど飲まずに耐えていた)服薬と杖使用で、体はもとより精神的に楽になった。

 

ハローワークでお手当てをいただく申請の合間に、障がい者のパソコン講座を知り受講。その縁で、退職後半年あまりたった頃からその後の約2年、福祉施設ではじめての事務職(補助)。整形外科で作成した補高靴を使用。右股関節の痛みのために、杖は手放せず、内転位で亜脱臼、ほとんど固定されてるように可動域がなくなり、QOLの低下は酷いものでした。いよいよ限界を感じ、2006年の5月でその福祉施設も退職。

 

退職後時間がたくさんできたことで、いろんな場所へ出かけていろんな出会いも。

運動のために通ったプールで出会った両側人工股関節の50代後半の女性。ボランティアで参加したパソコン講座で出会った片方人工股関節の51歳の女性。かねてより手術を勧めてくれる近医。最近開設された人工関節センター。なによりこのまま痛みと一緒に生活していくことではなく、自分のやりたいこと、やれることをしていきたいという自分自身の意志。いろんな要素が絡まって「人工股関節置換術」を受けることを決心した私がいました。

 

2006年7月、右人工股関節置換術を受ける。

 

術後3ヶ月(!)から脳外科のクリニックで働くことになり、そのために復職に向けて毎日プールに通って必死でリハビリ頑張りました。クリニック開院ギリギリまでロフストランドクラッチを使用し、開院とともにいきなりフリー歩行に。

患者さん抱えてあとで自分が動けなくなったり、変に斜めすわりしてひざがロックしたり、いろんなことがあるけれど、痛みに振り回されずに毎日を送る私。感激でした。

病院とは違ったクリニックでの日々は空気も時間の流れも心地いい・・・
仕事ができるってほんとにうれしい!ありがたい!生きてるって素晴らしい!

そして!

2016年2月に、ついに左固定股関節を人工関節に置換する手術を受けました。
リスクの大きい、更に術後のリハビリもかなり困難の予測される手術でしたが・・・

今の時代(女性は特に)ほぼ選択されることのない股関節を固定するという手術。そこから又人工関節へ、というのは執刀してくださる医師にとっても症例の少ない、見通しの立ちにくい手術だったと思います。

ネットで知り合ったさまざまな方々の経過やお気持ちを知ることで、ヨシッ!うまくいかなくてもいいから固定とおさらばだ!ときもを据えて手術に望むことができました。

今出来ることに最大の努力を。

今現在(2019年9月現在54歳)、復職はせず、訳ありで子育て(正確には孫ですが)と家事のみの生活です。時間はたっぷり。でもやることいっぱい。客観的に自分自身が支援が必要な存在かもと思っていますが、支援の必要な子を育てているのですっかり健常者のような感覚になっています。術後であることも忘れそうになるくらい、股関節に関してはストレスフリー♪なのです。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ブログ形式のサイトなので、トップの記事から読み進めると、時系列が逆でわかりにくいかもしれません。古い順に読みたいわ、と思われる方は、月別のカテゴリーを選択していただいて、そのまた下から順に(笑)読んでいただくしかないかも。
術前術後の経過以外の、「障害者手帳」や「障害厚生年金」、「介護保険」、「お役立ちグッズ」などは
カテゴリーの参考という中にまとめて入っています。

一度、うっかりミスでサイトを消してしまったことがあり、そのとき以降リンク切れが多発しています。

入院にかかった費用や、右股関節の手術のときに作成した「超個人的なクリティカルパス」などです。

お見苦しい点や、わかりづらい文章、また誤字脱字、などなど大きな心で見逃してくだされば助かります。

こちらに書いてある医療的なことは、私がかかわった医師・医療従事者の意見であったり、医療従事者であった自分自身の考えなども反映されており、そのことがすべての方に当てはまるわけではありません。ほとんどが自分自身の記録・備忘録、こういう症例もあるよご参考までに、という記事ですのでご了承ください。

もう少しエネルギーがあれば、サイトの大整理も行いたい・・・けどなかなかまとまった時間が取れないので申し訳ありませんm(_ _)m
管理人への連絡方法はメールにてお願いいたします。
⇒ akft0207@yahoo.co.jp
スパム防止のため@が全角になっております。送信時には半角に変更お願いします。他のメールに埋もれて確認が遅れることがあります。ごめんなさい。

自分自身の経過についての説明はできますが、専門的なご質問にはお答えすることは難しいかと思います。

携帯電話用のアドレスからいただくと、返信が出来ないことがあります。(何度かありました)

以上、長いプロフィールを最後までお読みいただきありがとうございます。

 

管理人 ゆらりん

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“管理人プロフィール” への1件の返信

  1. はじめまして。私は2010年8月に右人工股関節の手術を受けました。今回ブログを拝見させて頂き、同じ年の方だったことで勝手に親近感を持ち、(私は1965年の1月生まれです)投稿させて頂きました。私自身はまだ術後9ヶ月ですので今は痛みからの解放で快適です。3月までは幼稚園で働いていましたが、入れた人工股関節を大事にしていきたのと今は右だけですが、左もいずれ・・と言われているので思い切って退職し主婦生活に入りました。ブログを読んでいるといろいろ参考になる事が多いので今後もよろしくお願いします。

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