2月21日 術後3日め 休日は目が届かないので

固定股関節から人工股関節へ置換し3日め。

3日めといっても日曜なので、スタッフも少なく病室への出入りも予測できる範囲。ということで

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あー寛ぐ、の図

医師にもスタッフにも、見つかれば必ず怒られる、この開放しまくりの足。決して静脈血栓症のリスクを理解していないわけではなく、締め付けに、緊縛感に、精神が堪えられず、頭がおかしくなる前に次男に命じてこうなりました。

足首の運動はことのほかしっかりしっかり頑張りました。

太もも前面にある、骨固定痕。この傷侮れなくて、この記事書いている2年半後の今日もまたうっすら痕が残っています。歳のせいもあるのかな。ナビゲーションシステムのためなので、特に不満はありませんが。

大部屋での同室者が退院の挨拶に来てくれる。内視鏡下での腰椎椎間板ヘルニアの手術。

全身麻酔でもないのに腰椎がっしり固定されて意識下で手術なんて、いくら当日から歩行できて退院早くても、私には受けられそうにない手術だ^_^;

夜、教授が病室まで来て夫と話してから帰る。次男を産んだころ、同じ職場で働いていた。出世なさったなあ。

2月20日 術後2日め 待ちに待った離床の日

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固定股関節からの人工股関節置換術、2日め。離床の日です。土曜日です。

サブの担当医が出勤してきてくれるようです。

スタッフの方には前日からお願いし、医師の来る30分から1時間前に座薬を入れてもらうことにしていました。ボルタレン座薬。25mg。倍量でもよかったのに。

疼痛コントロール下にてドレーン抜去。

足架台のけると足が突っ張るように痛くてひきつる。なんかこわー

端座位をとってみる。よし、いけそう。

車椅子に移乗。サブ主治医に思い切りしがみつく勢いで、ぎゃーぎゃー(多分)言いながら、手助けのもと何とか移ることが出来た!術足は他人の足かというくらい重くて自分の意思では動かせない。でも取り合えず歩行への第一関門は突破したことに。

前医が気にして医局に来てたよ、と。病室まで来てくれたと言ったら驚いていた。

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↑ 浮腫んでパンパンになっています。色もまだらで、とにかく足が重かった。実際体重も増えていました。食事が摂れないのに・・・。25年間じっとしていた筋肉や腱やいろんな組織が、急に動かされてギャーッて悲鳴を上げているような

手術創は蜂の巣みたいなところです。あとはドレーンの痕、内視鏡を入れた痕、骨を固定していた痕など。

ベッドで仰向けになっていると閉塞感が強くて、我慢できなくなるとすぐ端座位練習。午後にはバルンも抜いて(抜かれ)(ほんとはもうしばらくそのままにしておいて欲しかった)車椅子でトイレに行くようになったので必然的に何度も端座位、車椅子移乗、トイレで手すりにしがみつきながら用を足し(笑)自発的な訓練が出来ていたように思います。

DSC_3654.JPG←端座位といっても自分的には術前と変わらない感覚。

可動域も出てないし。

安静を強いられるより、体を無理にでも動かすほうが、たとえ痛みがあっても精神的に楽だったのかも。

前回の右人工股関節置換術のころから、閉塞感、緊縛感、閉所、などなど、下手するとパニックを起こしそうになることが増えていたので、個室にいる間も、昼夜問わずドアは開け放し。暇があるとデイルームに出て行ったり廊下をうろついたり、とにかくじっとしていられませんでした。

この閉塞感は大学を退院するまで、転医してもしばらくは続くことになります。

【内服薬:鎮痛剤】

トラムセット4錠/日、ロキソニン3錠/日

ノルスパンテープ本日より

他:リクシアナ内服開始

【安静度】

ギャッジアップ 10から40度

車椅子、端座位

【食事】

串さしから普通食

【排泄】

尿管抜去しトイレ

術後二日目で、点滴・ポンプ・バルン、一気になくなった!

2月19日 術後1日め こんな痛いはずじゃ・・・

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どんなに痛くても夜は明ける(笑)左股関節固定術から人工股関節置換術にし、一晩空けて1日め。

昨晩23時半ころにロキソニンを服用し、痛みが怖くて体をピクリとも動かさず(動かせず)明け方ほんの少しだけうつらうつら眠ったようです。

朝食は、私の大好きなレーズンパンに、寝たまま食べられる仕様のものばかりでしたが、食事どころではありませんでした(泣)

大学病院ってなんでこんなリッチなパンが出るの。食事療養費はどこに入院しても一緒なのに。

そんなのんきなことを考えている余裕ももちろんありませんでした。なにしろ痛い。激しく痛い。とにかく痛い。

朝食後からはトラムセットを服用してもよいと許可をいただいてたので、少しはましになるかなと期待。

もちろんそんな期待はもろくも崩れ・・・

日勤の業務が始まったようで、ナースが四人くらい入ってきました。今から清拭をすると。

え?先生いないけど?ナースだけで体動かすの?

おもむろに一人のナースが足首を持って術足を持ち上げた。はい、絶叫。

しかも足をこのまま支えてるから横に向いてと言う。はい、無理。

あまりの激痛に返事も出来ず、私の泣き顔を見て皆さん帰っていかれました。自分で側臥位になれというなら一生清拭できなくていい。

右の股関節の手術のとき、あんなに楽しみ(?)にしていた清拭がなんて恨めしい。

後から主治医が来て、スタッフが「あの人異常に痛がるけど」と言ってるけど、と。痛みには強かったのではないのか、と。

痛みに強い、慣れているといっても限度がある。

大体以前の手術では硬膜外チューブから鎮痛剤を注入していて、清拭や回診で体を動かすときはあらかじめ自分で調節して薬を入れていた。普段の生活でも効果の少ないボルタレンやロキソニンで術後の鎮痛がはかれるなら苦労ない。普通の人工関節手術の人と比べて痛がるといわれても納得できない。

口は元気でした。マシンガンでした。主治医苦笑い。

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PTさん、術後初訓練。床上での膝の上下運動を指導される。ふくらはぎ全体で術足を支えてくれてすごい安心感。足首で持ち上げられたというと、ありえない、と(笑)

離床を明日に控え、はたと気づいたらしく、個室から個室へ移動。患足と健足を見誤っていたのか、病室の入り口がわに車椅子がつけられないためとのこと。またしてもベッドの揺れる衝撃に涙目になる。

夕方思いがけない来客あり。

もともとの主治医。(他病院)

大学でなんとかの会があるとかで、顔見に寄ってくれたらしい。思い切り、痛みが酷いのに内服薬しかもらえないと愚痴る。術後の写真や、現主治医との話からか、ベッド脇に座っていた次男に「お母さんが元気でさえいてくれれば、跛行が残るくらい平気だよな」みたいな事を言っている。跛行、残るの?一生?

私にも、術後の写真見たがきれいに出来てた、歩くとき体が揺れるくらいのことは関節が動いて生活が楽になることを考えれば、な、みたいな事を。

でも確かにこんなに痛いと、歩けるイメージがわかないことも事実で。関節が動くようになればそれだけでいろんなしんどさが改善するであろうこともわかるけど。深くは考えずにおこうと思った。

先生がわざわざ会いに来てくれたこと、気にかけてくれてること、有難かったし。

【内服薬:鎮痛剤】

トラムセット、ロキソニン、3回/日

他:持続点滴中

【処置】

アイシング

弾力ストッキング

足架台

フットポンプ

【リハビリ】

膝をベッドに押し付ける程度

【安静度】

ギャッジアップ 10から30度

【食事】

串さし食

2月18日 手術当日 長い一日の終わりは疼痛性ショックになるかというくらいの痛みとともに

固定股関節から人工股関節置換術へ。いよいよ手術当日となりました。
個室に移動したり、アルジネートウォーターを指定された時間内に飲んだり、シャワーしたり、大部屋で一緒だった方とお喋りしたりで、あっという間に午前中が過ぎました。
剃毛もなく、搬入時間の30分前に着替えてねと言われただけで、緊張感なし。
いざ搬入となって驚いたのが
「歩いて行きますか」
「え?」
これまでの手術で経験してきたような前投薬なし。
素面のまま手術室行くのかぁ…薬でボーッとしてる方が不安がなくて良いのに。
結局ペラペラのディスポの手術着にディスポの帽子、サンダルという姿のまま、一人しかいない搬入の看護師さんと一緒に自分のベッドを押しながら手術室へ入っていくというシュールな場面をひけらかしたのでした。
「おっ、自分でベッドを押してきたぞ」
麻酔科の先生、ここまでの道のり遠かったよ。
前投薬なしでの手術は初めてですというと、もう最近はこちらの病院ではしていないと。すぐ振り返って研修医か学生かわかんない人に、昔は(!)アトロピン等を前投薬として投与していたと説明している。
なんだか自分が古い人間だと説明されているようでなんだかなぁって感じ。
手術台に横になってそのまま一番奥の手術室まで搬送される。扉が2枚あるところを見ると無菌室なのでしょう。
麻酔科やら看護師やら見知らぬスタッフが次々と自己紹介しながら私の両手両足、身体中に自分の仕事をこなすためがんじがらめにしていく作業の連続。
素面で初めて仰ぎ見る無影灯。怖い。何が?よくわからないけどこれまでの術前で感じたことのない怖さ。
やっぱり前投薬は必要だと思います。何をされるかわかっていても不安がどんどん増大していくのがわかる。
腰が激しく痛くなるような姿勢で無理やり固定され、動悸が激しくなる直前でやっと意識が無くなりました。
※ ※ ※ ※ ※
うっすら目が開いて、麻酔科医の言葉に反応した時点で合図された研修医が抜管してくれた。あ、案外チューブって柔らかいんだ。
意識が戻るに連れカオスが襲ってくる。経験したことのないような激しい痛み。
あれ?なにこれ?
あまりの痛さに身体中震える。震えることで更に傷が痛む。その痛みの恐怖でまた体が震え・・・魔の悪循環。
病室までの道のり、廊下のわずかな段差で絶叫しそうな激痛が走る。
悪夢のような夜の始まりでした。
13時に搬入されて、帰室18時半頃のことでした。
耐えに耐えました。震えながら。
看護師さんが5人くらい一斉に計測、ストッキング履かせる、ポンプ装着、アイスノンを術創に当てる、採血、タオルであちこち保護、他もろもろの作業。
足を動かされた時には泣きました。痛すぎて喚くこともできません。
しばらく耐えた後座薬を入れてくれました。
効果?不明なくらい痛み変わらず。
そんな状況の中で、親戚のおじさんが亡くなったとか、家の隣の公園で野球してた近所の子がうちのガラスを割ったとか、聞きたくないような電話が次々。
神様はよほどこの手術に反対だったようで。
でももう遅いです、手術受けてしまいました。
お願いだからこれ以上心の平静を奪わないで。
日が変わる頃に、痛み時の指示で(おそらく入院時の指示かと)ロキソニン出てますが飲んでみます?と担当ナースさん。
冗談かと思いました。
この痛みにロキソニンとな?
普段の腰痛でもあんまり効かないんだよ?
飲みました。
他に何も手立てが無かったから。
体をピクリとも動かせません。激しくキズが痛みます。
長い長い、とてつもなく長い恐怖の夜になりました…
唯一慰めになったことは、夜勤の看護師さんが手にビニール袋をかぶせて背中のエア抜きをしてくれたこと、それだけです。