自己血輸血って?

前回、左の股関節の手術を受けたとき(15年前)には、自己血の貯血なんてことは行われてなく
年齢の若さから出血量の多さの割りに輸血をしてもらえませんでした。
術前から引き続き、術後も食事がほとんど取れない状態が続き(固定術は浸襲が大きいのです)
初めてベッドから体を起こしてトイレに行く途中(術後1週間以上たってたかな?)洗面所で
ちらりと見た自分の顔が真っ青で頬がこけて、まるで幽霊のようだったことを覚えています。
ウエストあたりから足先まで巻かれたギブスも、両の手でつかむと右手と左手が届きそうなくらい
足も痩せこけていました。
輸血によるリスクを避けるため、とはいえ、術後の回復はもともとの体力のなさともあいまって
かなり遅れていたのだと思います。なにしろ自分の体が起こせなくて、ベッドの足元に
くくりつけられたロープを引っ張って起き上がっていました^^;
その点自分の血液なら余計な抗原抗体反応も起こらず、感染症の心配もなし!
私のように不規則抗体陽性であっても、自分の血液なら反応しませんし。
毎週400mlずつ採血しても、鉄剤の内服とエリスロポエチンの注射で赤血球は次週には復活
してるし、ヘモグロビンも一桁まで下がらない限りは貯血しても大丈夫みたいです。
ただし、手術の直前はさすがに控えないといけませんが・・・
個人のホームページ 「ナースのつぶやき」の中で、自己血についてわかりやすく説明してくれています
↓  ↓  ↓
「自己血貯血による手術とは」
とっても参考になりました☆
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整形ナースのナットク!人工股関節置換術後のケア

MCメディカ出版からのこの本は読んだとおり医療従事者(主にナース)のための本です
(久留米大学名誉教授・柳川リハビリテーション病院院長の井上明生さん編著)
整形ナースのナットク!人工股関節置換術のケア
やや逆説的ですが、ナースが患者さん相手に看護や指導するときの情報がわかれば
それイコール手術を受ける自分がやるべきこと、という理由で購入しました。
もともと私はナースなので専門用語や解剖は特に問題ありません。
が、一般の患者さん相手に指導する場合のクリティカルパスや生活指導のイラスト入りパンフは
実際に手術後の経過や生活をシュミレートするにはとっても役立ちます。
パスは施設ごとに作成するもので、医療機関や手術を受ける人の年齢などに応じて
それぞれに経過が異なるものなので、本来なら自分が手術を受ける医療機関で作成している
パスが手に入れば一番いいと思います。
が、最近はネットでもいろんな施設のパスがてに入るので、大体の参考にするにはいいかな(^^)
この本も
?股関節の機能解剖
?該当する疾患の病態
?術式および手術室での管理
?病棟管理
?合併症予防
?患者さんとのQ&A
?社会資源活用法
付録:患者さんへの説明用イラスト集
と、実際に即役立つような情報が網羅されていて、患者の立場で見るなら十分な内容だと思います。
ただし手術中のイラストなどは見ると気分が悪くなる人もいるかも・・・
ちなみに私はあまりに事細かに想像しすぎて血の気が引きそうになりました><
わたし個人の感想としては「これはよかった!!」の部類に入る本です☆
これさえあれば術後の生活指導の代わりにもなりそうなくらい具体的内容ですから
整形ナースのナットク!人工股関節置換術のケア
本のもう少し詳しい内容は↓
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貯血2回目(7/12)

今日は手術から数えてほぼ2週間前になります。
貯血とともに全身麻酔の術前検査も受けました。
●胸部X線写真、検尿、心電図、肺機能検査、出血時間、血液検査もろもろ(おそらく感染症チェックも含まれていることでしょう)
前回お茶の飲みすぎでトイレが近くなった経験から、うっかり受診前にトイレを済ませてしまったわたし・・・検尿のためにジュースとコーヒーをまたもやがぶ飲み
尿に糖が出てないことを祈る(アーメン)
外来ナースとともに病棟に。
今度は4人部屋のうちの空床なので、先週の2人部屋に比べると格段に広く感じる。
「200ml2回と400mlを1回、どっちがいい?」
「は?」(なんでそんなこと私に聞くの??)と戸惑いつつも
「400を1回がいいです・・・」
何回も刺せるほど血管があれば分けてくれてもいいけどさ
案の定、今日の貯血は5回刺して取れた血液は200ml・・・採血を担当してくれた3人のナースのどんよりした表情とため息が私の心にチクチク
貯血用の針のゲージが太いことはわかるんだけど、いつになく泣きそうに悲しくなりました
何回も刺される痛さじゃなく、血液が取れないとせっかくの手術が受けられなくなるんじゃ・・・という不安。
知らない人が見るとギョッとしそうな内出血の後だらけだけれど、次男は明るく
「(麻薬中毒のひとと間違えられて)警察に捕まらんっようにな」
と。
ははは?暑すぎて長袖なんか着られないから、あざだらけの腕で堂々と歩いておきます(^^)v
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貯血1回目(7/5)

赤十字の看護学校でいたおかげで、献血は若いときに何度も経験がある。
が!
そのときはいつも、血液センターの敏腕ナースに
「献血に来てくれる気持ちはうれしいんだけど、その割には血管がね?」(←細すぎる!)
でも、さすが日赤の血液センターのスタッフ
ただの一度も失敗された記憶はない
今日もそんな敏腕ナースがいることを期待して一人でやや緊張しながら受診
採決前に貧血がないかチェック
ヘモグロビンの値は教えてもらえなかったけど、OKとのことで病棟へ
2人部屋の手前のベッドは、包交車が入るとドアも開かなくなるような狭さで息苦しかった・・・
清潔操作での採血なので、イソジン・ハイポのあと穴あきシーツをかけられる。
清潔な手袋をはいたナースが採血の担当のよう
途中あれがないこれがないと出たり入ったりする様子が不安を感じさせる
(必要物品そろえてから来てくれないと不安が募る?)
若手のナースが100mlで止まってしまったからと抜針
どうもこの血液は捨てられるらしい・・・
年配のおばさまナースが反対の腕から300mlほど採ってくれた(内側からだったから痛かった?)
初めての貯血ということもあってしばらく横になった後帰る
フェルム(鉄剤)の内服を本日より手術の前日まで続けることになる
お尻に筋肉注射1本(造血のため)
病院というところは痛いことがつきものなところなのよね
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初めての受診?6月28日

tama6.gif
初めての受診はドライブ気分だった。
近医の紹介状持参では来たものの、手術にはたぶんたどり着けないと勝手に思い込んでいたし
本人自身が一番のほほんとしていたように思う。切迫感なし。緊張感ゼロ。初めての病院で物見遊山な受診。
近医に「不便だろ、不便だろ」と言われることはあまり好きではなかった。
人から見ると確かに不便。左股関節を固定している上に右も可動域制限でほぼ固定してるような状態。おまけに痛みで歩けない。
でもコレが自分の体だし、健康体から突然なった状態じゃなくて十何年も(もっと?)かけての今の状態。
自分で不便と思うことがもしあっても他人にそういわれることは嬉しいことでも喜ばしいことでもない。
でも冷静になって考えると、医師という専門職の視点で客観的に見ると、手術をしたほうがいいくらいな状態にまでなっている、ということなのだろう・・・
なにより10年、20年先の人生より、今の人生のほうが大切だから、できるものなら人工関節置換の手術を受けて、40代の人生を後ほんの少しだけ自由に生きてみたい。そうずっと考えていたことが根幹。
水中歩行に行っていたプールで知り合った50代後半の人がまだ元気で仕事を続けていると知ったこと、ボランティアで参加したパソコン講座の受講生Hさんが術後1年半で仕事にスポーツに走り回っていることを知ったことが、私の気持ちに加速をかけてこうして紹介状を握って初めての病院に来させている。
紹介状のあて先であるM先生は、診察前に予め撮影した股関節の単純写真と紹介状を交互に見ながら
「う?ん・・・」
可動域を診察したり、左を固定したときの担当医E先生の話をしたりしながらさらりと
「手術はできますよ」
と。
あまりに簡単な答えにちょっと驚きながらもたくさんある聞きたいことが頭をめぐる。
通常65歳で人工関節に置換した場合の寿命は約15年。早い場合は10年。
若く手術すればするほど、運動量との兼ね合いで寿命は短くなり、私の場合は7?8年で再手術が
必要になるだろうとのこと。
7?8年・・・あっという間と考えるか、その間痛みから解放されると考えるか・・・
術後の経過はいろんな病院のホームページでクリティカルパスで見てきたが、ここではどうなのかと
気になってたので
「術後の経過はどうですか?」
と聞くと
「術後ぉ?そりゃぁ、ハッピーハッピーじゃ!」
と頓珍漢ににっこりしながら返事してくれる。はははっ・・・(汗)
要するに術後どれくらいで歩けるかなんて、それぞれなのでわからない。
手術してもらえることが嬉しいのかなんなのか複雑な心境のまま、なんとなくそわそわした気持ちで
帰路に着いた。
予約の患者さんの中で順番が来たら連絡をくれることになる。
さあ、準備だ!
心の準備
入院用品の準備
残していく家のための準備
これからとってもとっても落ち着かない生活が始まる。
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管理人プロフィール

(2019.9.更新)

 

1965年2月生まれ
歩き始めのころ:LCC(先天性股関節脱臼)⇒治療にて(硬性コルセットで固定)軽快。両親は治癒したとの認識。

小中学生のころ:バレーボール、ソフトトボール、バスケットボールなどいろいろやってましたが長距離を歩くと股関節に違和感を感じていました(痛みとまではいかなかった)。春の遠足は毎年学校の裏にある標高300m弱の山への登山でした・・・今では不可能

高校から専門学校
高校は文科系(ブラスバンド部)、毎年冬に行われるペース走(マラソンみたいに人とは競わないけど自分のペースで長距離走る)はつらくて2年3年は診断書を提出してやめる。このとき整形外科を受診して股関節のX線を撮影しているが、本人も家人も切迫感まったくなし。病識もなし。
専門学校1年生の時、坐骨神経痛を発症して8週間入院。神経根ブロックをうける。今から考えればこの腰が悪くなった原因ももともとは股関節だったのだろうと後に2次性変形性股関節症を診断した医師にいわれる。遠足という名の苦行(誰も徒歩では上らない険しい山登り)など、活動はみんなと一緒に問題なくできていた。

就職
ナースとして地方の300床あまりの総合病院に就職。廊下は常に小走り、エレベーターを待つ時間が惜しくて階段を2段飛ばし。今からでは考えられないけれどパワフルに働いていた・・・のが災いし、2年目の冬入院して腰椎ヘルニア手術。このころにはすでに側臥位での下肢の挙上運動(横になって腿を持ち上げる)はあまりできなかった。
26歳。股関節の痛みがひどく(両方)仕事を辞めるつもりでいたが急遽手術されることに。左股関節固定術。外来を1時間半もとめて力説するばりばりパターナリズムな当時の主治医。泣きながらいつの間にか入院させられていた。(木曜日に外来にてつかまり手術決定、翌月曜日に入院、その週のうちに手術)

左を固定することで右の痛みも一時的に消失。その後何年かは階段も上れるし小走りで走ることも可能だった。
「できません」なんて言葉は絶対いえない性格。健常者のなかで誰にも負けないようにといつも必死で働くこと計17年あまり。37歳の夏にいよいよ仕事がつらくて耐えられなくなり、いったん主婦業へ。このとき初めてネットで杖を購入(今でも愛用の赤い木製のT杖)。家の近所の整形外科を受診し、初めておおっぴらに消炎鎮痛剤を服用し始めた。(それまではよほどのことがない限りほとんど飲まずに耐えていた)服薬と杖使用で、体はもとより精神的に楽になった。

ハローワークでお手当てをいただく申請の合間に、障がい者のパソコン講座を知り受講。その縁で、退職後半年あまりたった頃からその後の約2年、福祉施設ではじめての事務職(補助)。整形外科で作成した補高靴を使用。右股関節の痛みのために、杖は手放せず、内転位で亜脱臼、ほとんど固定されてるように可動域がなくなり、QOLの低下は酷いものでした。いよいよ限界を感じ、2006年の5月でその福祉施設も退職。

退職後時間がたくさんできたことで、いろんな場所へ出かけていろんな出会いも。
運動のために通ったプールで出会った両側人工股関節の50代後半の女性。ボランティアで参加したパソコン講座で出会った片方人工股関節の51歳の女性。かねてより手術を勧めてくれる近医。最近開設された人工関節センター。なによりこのまま痛みと一緒に生活していくことではなく、自分のやりたいこと、やれることをしていきたいという自分自身の意志。いろんな要素が絡まって「人工股関節置換術」を受けることを決心した私がいました。

2006年7月、右人工股関節置換術を受ける。

術後3ヶ月(!)から脳外科のクリニックで働くことになり、そのために復職に向けて毎日プールに通って必死でリハビリ頑張りました。クリニック開院ギリギリまでロフストランドクラッチ

 

 

1965年2月生まれ

歩き始めのころ:LCC(先天性股関節脱臼)⇒治療にて(硬性コルセットで固定)軽快。両親は治癒したとの認識。

 

小中学生のころ:バレーボール、ソフトトボール、バスケットボールなどいろいろやってましたが長距離を歩くと股関節に違和感を感じていました(痛みとまではいかなかった)。春の遠足は毎年学校の裏にある標高300m弱の山への登山でした・・・今では不可能

 

高校から専門学校

高校は文科系(ブラスバンド部)、毎年冬に行われるペース走(マラソンみたいに人とは競わないけど自分のペースで長距離走る)はつらくて2年3年は診断書を提出してやめる。このとき整形外科を受診して股関節のX線を撮影しているが、本人も家人も切迫感まったくなし。病識もなし。

専門学校1年生の時、坐骨神経痛を発症して8週間入院。神経根ブロックをうける。今から考えればこの腰が悪くなった原因ももともとは股関節だったのだろうと後に2次性変形性股関節症を診断した医師にいわれる。遠足という名の苦行(誰も徒歩では上らない険しい山登り)など、活動はみんなと一緒に問題なくできていた。

 

就職

ナースとして地方の300床あまりの総合病院に就職。廊下は常に小走り、エレベーターを待つ時間が惜しくて階段を2段飛ばし。今からでは考えられないけれどパワフルに働いていた・・・のが災いし、2年目の冬入院して腰椎ヘルニア手術。このころにはすでに側臥位での下肢の挙上運動(横になって腿を持ち上げる)はあまりできなかった。

26歳。股関節の痛みがひどく(両方)仕事を辞めるつもりでいたが急遽手術されることに。左股関節固定術。外来を1時間半もとめて力説するばりばりパターナリズムな当時の主治医。泣きながらいつの間にか入院させられていた。(木曜日に外来にてつかまり手術決定、翌月曜日に入院、その週のうちに手術)

 

左を固定することで右の痛みも一時的に消失。その後何年かは階段も上れるし小走りで走ることも可能だった。

「できません」なんて言葉は絶対いえない性格。健常者のなかで誰にも負けないようにといつも必死で働くこと計17年あまり。37歳の夏にいよいよ仕事がつらくて耐えられなくなり、いったん主婦業へ。このとき初めてネットで杖を購入(今でも愛用の赤い木製のT杖)。家の近所の整形外科を受診し、初めておおっぴらに消炎鎮痛剤を服用し始めた。(それまではよほどのことがない限りほとんど飲まずに耐えていた)服薬と杖使用で、体はもとより精神的に楽になった。

 

ハローワークでお手当てをいただく申請の合間に、障がい者のパソコン講座を知り受講。その縁で、退職後半年あまりたった頃からその後の約2年、福祉施設ではじめての事務職(補助)。整形外科で作成した補高靴を使用。右股関節の痛みのために、杖は手放せず、内転位で亜脱臼、ほとんど固定されてるように可動域がなくなり、QOLの低下は酷いものでした。いよいよ限界を感じ、2006年の5月でその福祉施設も退職。

 

退職後時間がたくさんできたことで、いろんな場所へ出かけていろんな出会いも。

運動のために通ったプールで出会った両側人工股関節の50代後半の女性。ボランティアで参加したパソコン講座で出会った片方人工股関節の51歳の女性。かねてより手術を勧めてくれる近医。最近開設された人工関節センター。なによりこのまま痛みと一緒に生活していくことではなく、自分のやりたいこと、やれることをしていきたいという自分自身の意志。いろんな要素が絡まって「人工股関節置換術」を受けることを決心した私がいました。

 

2006年7月、右人工股関節置換術を受ける。

 

術後3ヶ月(!)から脳外科のクリニックで働くことになり、そのために復職に向けて毎日プールに通って必死でリハビリ頑張りました。クリニック開院ギリギリまでロフストランドクラッチを使用し、開院とともにいきなりフリー歩行に。

患者さん抱えてあとで自分が動けなくなったり、変に斜めすわりしてひざがロックしたり、いろんなことがあるけれど、痛みに振り回されずに毎日を送る私。感激でした。

病院とは違ったクリニックでの日々は空気も時間の流れも心地いい・・・
仕事ができるってほんとにうれしい!ありがたい!生きてるって素晴らしい!

そして!

2016年2月に、ついに左固定股関節を人工関節に置換する手術を受けました。
リスクの大きい、更に術後のリハビリもかなり困難の予測される手術でしたが・・・

今の時代(女性は特に)ほぼ選択されることのない股関節を固定するという手術。そこから又人工関節へ、というのは執刀してくださる医師にとっても症例の少ない、見通しの立ちにくい手術だったと思います。

ネットで知り合ったさまざまな方々の経過やお気持ちを知ることで、ヨシッ!うまくいかなくてもいいから固定とおさらばだ!ときもを据えて手術に望むことができました。

今出来ることに最大の努力を。

今現在(2019年9月現在54歳)、復職はせず、訳ありで子育て(正確には孫ですが)と家事のみの生活です。時間はたっぷり。でもやることいっぱい。客観的に自分自身が支援が必要な存在かもと思っていますが、支援の必要な子を育てているのですっかり健常者のような感覚になっています。術後であることも忘れそうになるくらい、股関節に関してはストレスフリー♪なのです。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ブログ形式のサイトなので、トップの記事から読み進めると、時系列が逆でわかりにくいかもしれません。古い順に読みたいわ、と思われる方は、月別のカテゴリーを選択していただいて、そのまた下から順に(笑)読んでいただくしかないかも。
術前術後の経過以外の、「障害者手帳」や「障害厚生年金」、「介護保険」、「お役立ちグッズ」などは
カテゴリーの参考という中にまとめて入っています。

一度、うっかりミスでサイトを消してしまったことがあり、そのとき以降リンク切れが多発しています。

入院にかかった費用や、右股関節の手術のときに作成した「超個人的なクリティカルパス」などです。

お見苦しい点や、わかりづらい文章、また誤字脱字、などなど大きな心で見逃してくだされば助かります。

こちらに書いてある医療的なことは、私がかかわった医師・医療従事者の意見であったり、医療従事者であった自分自身の考えなども反映されており、そのことがすべての方に当てはまるわけではありません。ほとんどが自分自身の記録・備忘録、こういう症例もあるよご参考までに、という記事ですのでご了承ください。

もう少しエネルギーがあれば、サイトの大整理も行いたい・・・けどなかなかまとまった時間が取れないので申し訳ありませんm(_ _)m
管理人への連絡方法はメールにてお願いいたします。
⇒ akft0207@yahoo.co.jp
スパム防止のため@が全角になっております。送信時には半角に変更お願いします。他のメールに埋もれて確認が遅れることがあります。ごめんなさい。

自分自身の経過についての説明はできますが、専門的なご質問にはお答えすることは難しいかと思います。

携帯電話用のアドレスからいただくと、返信が出来ないことがあります。(何度かありました)

以上、長いプロフィールを最後までお読みいただきありがとうございます。

 

管理人 ゆらりん

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