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3月14日 術後25日め 回復期リハビリテーション病院へ転院

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股関節固定術後の人工股関節置換術を受け25日め。
回復期リハビリテーション病院へ転院の日です。転院先の病院が13時30分に来院との指示でしたので、名残惜しい尊敬するPTさんのリハビリを受けてから退院することにしました。

本日のリハメモ

歩行時、左股関節の内旋を意識する
十分体重がかかったことを確認してから左足を一歩前に。
この時骨盤の角度が左前にならず水平から右前になることを意識する。
2本杖で慣れたら1本杖で。更に慣れたらT杖で。
歩行をリセットするため家でも毎晩5分でも1分でも続けることが大切。
坐骨神経痛のときの右臀部のマッサージは左下に寝てお尻をマッサージする(人工関節のためこの姿勢しかとれない)


関節のこと、姿勢のこと、様々なことを深く勉強されているPTさんでした。
説明がロジカルで、動作の意味を納得して習得することができました。

また褒め上手。一度にたくさんのことを指摘せず、段階に応じて一つずつ修正してくれる為、混乱することなくステップを上げることができました。

毎日リハビリの後には覚えている限りを手帳にメモし、読み返し、注意されたことや新しく教えられたことを次のリハビリまで繰り返し練習したり復習することができました。
私の疑問や困ったことにも嫌な顔一つせず、丁寧に対応してくださり、すべての事柄に納得し、不安を払拭しながら前向きな気持ちになれました。

きつい術後の状態をなんとか乗り切ることができたのも、リハビリで光明が差したおかげと言っても過言ではありません。
いくら感謝しても足りませんし、何よりこの出会いに心から感謝してやみません。

何ヶ月か何年か先にお会いする機会があった時、恥ずかしくないような歩行を見ていただく為にも、お別れした後も更に努力していこうと思えます。

病院を変わることより、主治医と離れることより、仲良しの同室者とお別れすることより、このPTさんにもう指導していただけないということが一番不安で悲しかったです。


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後から思えば、物品が恵まれていた病院でした。車椅子、歩行器、ロフストランド、すべて本人用に専属で退院まで使っていました。しかもキレイなものばかり。
個室の室料差額が、部屋の広さの割りにちょっと高かったことが引っかかりはしましたが、4人部屋一日1080円負担で、パーテーションつき、冷蔵庫つき、テレビ見放題、は割安だったかも。
食事もほんとに恵まれていたと実感するのはこの後転院してからのことでした・・・


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


病衣のレンタルがない病院に転医ということで、自宅経由&外でランチ。試しに二階に上がってみましたが、両手すりでなんとなく昇降できました。

自宅からほど近い回復期リハビリテーション病院。整形外科を受診し、諸検査を受けた後に病室へ案内されました。
地域の拠点となる特定機能病院と、大きなグループとはいえ個人経営の病院では、比べてはいけません。いろんなこと。
他の回復期リハビリテーション病院へ転院した同志に電話で、3日もすれば慣れると慰められました。住めば都、とも。たしかにその通り。

1日に1時間くらいのリハビリが2〜3回。PTさんはグループに分かれていて同じグループの中から担当してくれます。土日もあり、と。
ここでしっかり頑張ってトレーニングすることが新たな私のミッションです。
それにしてもPTさんたち、みなさん若い...次男と同い年の方も。つまり卒後1年め。ふむぅ

ロフストランド杖2本と、時に歩行器使用という生活から、ロフストランドのみの生活に切り替わることになりました。
歩行器は空きがないと。
PTさんが体の動きの状況を確認してくれ、院内は自由に移動可能に。院外へは一人ではもちろんダメで、外出届も必要と。

個人の病院にありがちですが、何かあったら困るので管理、管理、管理、みたいな。
気持ちはわかるので、特に何も反応せず、ニコニコ聞いていました。

4人部屋。例に漏れずカーテン全閉まり。
前医でも完全オープンの私に釣られて、みんな段々顔を見せてくれるようになったので、それを期待。

訓練室手前の大通り、全員の方に見守られながら(覗かれながら?)新しい環境での生活が始まります。


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